驚きの党首討論「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない総理」に考える

驚きの党首討論ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない総理」に考える

 

 マスメディアでは、それほど大きく取り上げられなかったが、つい先日行われた国会の党首討論で、驚くべき場面に遭遇した。

朝日新聞の報道を引用する。

 

 《志位和夫委員長(共産)》 過去の日本の戦争は間違った戦争と認識があるか。

 《首相》 先の大戦で多くの日本人の命が失われた。同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。我々は不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間平和国家としての歩みを進めてきた。その思いに全く変わりはない。だからこそ、地域や世界の繁栄や平和に貢献をしなければならない。

 《志位氏》 戦後の日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争について間違った戦争だという認識を示している。この認識を認めないのか。

 《首相》 ポツダム宣言を受諾し、敗戦となった。ポツダム宣言をつまびらかに読んでいないので直ちに論評することは差し控えたい。
http://digital.asahi.com/articles/ASH5N4D6VH5NUTFK007.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH5N4D6VH5NUTFK007

 

言うまでもなく、ポツダム宣言は、日本の戦後改革の方向性を定めた政治文書である。「日独伊三国同盟による侵略戦争批判、日本軍の無条件降伏要求と軍国主義、封建主義の排除、民主主義に基づく日本の再建」等を通告する、異議申し立てを認めない厳しい最期通告であったことは、常識であるはずだ。

 

無論、ポツダム宣言を「つまびらかに」暗記する事など、必要もない。(「つまびらかに読んでない」などありえない。)しかしながら、戦後日本の政治体制を決定づけた文書に関して、総理大臣たる者が基本的な理解を持っていないのだとしたら、これは、もはや悪い冗談では済まされまい。

 

ただ、私は、安倍総理に「ポツダム宣言に関する基本的理解が無い」とは思っていない。そこまで貶めるつもりはない。そうであるとしたら、なぜ、志位委員長の「間違った戦争と認めないのか?」という再三の質問に、ついに答えなかったのだろうか?

 

私の考えでは、「つまびらか~」は、実は「間違った戦争だった(=侵略戦争だった)」と答えないための口実として、(即興で)言われたのではないかと考えている。

 

そのように推測する根拠を、一つ示しておきたい。

田崎史郎著『安倍官邸の正体』(講談社)に、2013年12月の安倍総理靖国神社参拝について、以下のような記述がある。

 

「それは、安倍の強固な支持層である『強硬保守』への配慮だ。安倍の五年に及んだ雌伏期間に『同志』として支えてくれた人たちである。退陣後から復帰するまで『過去の人』のように見られていた時期に、安倍が登場したインタビューを読むと、掲載メディアは『WILL』『正論』などの雑誌が目立つ。インタビューアーは櫻井よしこ金美齢らだ。」

 

だとすれば、安倍は自分が政治家として最も苦しい時期に、支えてくれた人々「強硬保守」の人々への義理から、「侵略戦争」「間違った戦争」などとは意地でも言えないと、心に決めているのではないか。(アメリカ議会の演説で、ついに謝罪をしなかった理由も、そう考えれば納得がいく。)

 

そのような義理人情自体は、実は私も嫌いではない。しかしながら、現職の総理大臣たる者が、義理人情を優先して国政の方針を定める(=歪める)など、決してあってはならないことである。どうしても政策より義理人情を重んじるというのであれば、潔く政界を引退すべきであろう。

 

安倍総理、如何に!